2014.8.11
“縁 JOY AMIGO ~旅するボール~” ガクエムシー コラム更新!!
ブラジルへ渡った。
もう居ても立っても居られなかった。2010年は抱えていたプロジェクトがあり(それでも今思えばきっと多少の無理をすれば行くことは出来たはず)断念した。2006年は念願叶って現地ドイツへ。けれども残念ながら日本戦を見ることは出来なかった。98年、初参加のフランス大会は、『サッカーを見に海外へ行く』 そんな発想すら思い浮かばなかった。
自国開催を除き、日本代表戦のW杯本番を海外で見たことは、ない。絶対にそこにいたい。大袈裟な言い方だけれど、生きてるうちに。
『本当に沢山のモノを僕はフットボールからもらっている』
いつもそう思っている。
音楽を生業として20余年が経った。良い時がある。反対につまづくこともある。煮詰まって進まない時に、打開させてくれるのがいつもそれ。ピッチに出て、汗をかき眠る。音楽からふっと離れ、仲間とその瞬間を共有することが、僕の場合は吉と出た。立ち止まった足を進めてくれるモノ。新鮮な気持ちでまた音楽に向き合うことが出来る。それがフットボール。
『音楽でフットボールに恩返し』
そんなコトが出来たら素敵だ。ずっと思っていた。フットボールをテーマに作り、選手の背中を押すような曲。サポーターと共に唄い、会場を一つに出来るような、そんな曲。
『勝利の笑みを 君と』
共にピッチで汗を流す尊敬すべき音楽家、加えて”超”がつく程のサッカー馬鹿。そして友人”桜井和寿”。彼との共演で(この曲の制作には本当に長い長い物語があるのだけれど、それはまた別に機会に)理想が形になった。もうこれは絶対にブラジルへいかなくちゃ。スタジアムのゴール裏へ行かなくちゃ。そうやって僕はブラジルへ行った。
でも、負けちゃった。
結果は皆さんご存知の通り(W杯予選突破がかかったヨルダンのレポートでもこんなコトを書いた気がする。是非こちらもチェックを http://mifa.co.jp/activities/96.html)。1分2敗。残念だったなあ。ため息が溢れたスタジアム。駆けつけたサポーター達の重たい表情。だけど選手達はきっともっと(いや確実に)悔しかったと思う。日本中の期待を背負い戦うプレッシャー。移動距離の長さ。慣れない季節感。強豪と言われる国々があっさりと消えて行くW杯独特の難しさ。厳しいことを言う人や記事を沢山見たけれど、僕はこう思う。
『そんな時もあるさ。切り替えて次へ』
この結果から沢山のモノを得て、そして次のステップへ行って欲しい。きっと出来るよ。そう僕は信じている。
でもね。そうは言っても実際にすぐ切り替えられなかったのも事実です。僕も落ち込むことがあるんです(あるよ!)。
日本が勝ち進むことを予想して、日程をこじ開け、ブラジルへ渡ったのは良いけれど、肝心の日本がいなくなり、『はい、では他国の試合を見に行こう!』そんな気持ちには全くなれなかった。しょぼん。近くの町で行われている強豪国同士のマッチ。行く気になれば、すぐにでも行けたのに、そんな気持ちにはなれませんでした。テレビですら見なかった。どうしてたかというと、『サッカーしてた』。
音楽で煮詰まった時と同じように(それこそいつものように)、ピッチへ出て汗をかいて、頭の中を真っ白に。ボールを持って町に出て、出逢った人々とそれを蹴った。ブラジル凄いよ。目が合ってボールを渡すと10人中9人以上がリフティングを始める。とりあえず始める。
『俺の技を見せてやるぜ』
そんな顔つきでトリックを入れてくる。若い男も、いい歳したおっちゃんも、そして子供も女子も。もちろん上手い人ばかりではないけれど、ヘタッピな奴ですら、『俺の技を見せてやるぜ』ってな具合。これには本当に驚いた。
ビーチを歩いている連中にいきなりボールを渡した。バス停でバスを待っている人にふっとパスした。仕事中の奴らにも(警察官に渡してリフティング始めた時にはもう笑いがとまらなかった。是非動画の確認を)おかまいなくパスをした。持参した小型ビデオカメラを回し続けたらこうなった。ワールドカップで日本が負けて悲しくなったけれど、ボールが縁で沢山の友達が出来た(ワニをよけながらピラニア釣りに行った時もドリブルで行ったよ)。
帰国して、動画を見直して、自分で編集した。ブラジル人のサッカー愛が存分に詰まった動画になったと思う(日本が本当の意味でサッカー大国になるにはこれくらい文化としてサッカーが根付かなくてはいけないのか、と驚愕した)。曲はウカスカジー『縁 JOY AMIGO』。”ここで逢ったのも何かの縁”。まさに『縁』に恵まれた素敵な旅だった。
音楽とフットボールでの融合。MIFA はそんな理念を掲げて始めた。難しいことを考えず、行ってみる。出会いを大切に。そしてハッピーに。言葉が通じなくても僕らはそれで繋がれる。ブラジルの旅でまたそれが一つ確信になった。やっぱり僕らはそれで誰とだって繋がれるんだ。分かち合うことが出来るんだ、と。
ガクエムシー